4月17日に私は圧倒されて惨めな気持ちになった

たぶん惨めは言い過ぎ、比較したって仕方がないので!
だってレベルが違いすぎるもの。
言い訳です。

やや記憶が薄れている中での備忘録。
いやもう忘してるんですけど。
忘するって何?おんもには悪いばい菌しかいない話?
さあ私のボケスピードに僅かばかりの読者はついて来れるか。

あの雨の中京都に行って、はじめて自分の目でメンバーを見て。
動画の中で見ている人が現実でもそのまま抜き出てきたような面白い感覚を味わいました。最初の登場からユニークだった。
応援している人たち、カフェで見たことはあったけど応援の仕方は人それぞれだなって思ったことは覚えています。

私は古の時代から認知というか視界に入りたくないタイプのオタクなのでその元気さパワフルさは尊敬。
無理、柱の影どころか柱の中にいたい。大多数の一部の頭1つにわたしカウントされたくない。某新聞社の動画に頭だけ見事に共演した私は泣きたい、消えるか…


仲居や女将になりたい私はあくまでも概念です。


その日の晩にやや酔いながら書いた下書きが残っていたのでツイートの下書きをもとに記憶を引き出しますね。


いや〜〜なんか圧倒されちゃった 
自分の持っている様々な知識を伝えていくことにより興味関心を持ってもらう動機づけはバッチリだし、拙い言葉でも意見を伝えようとする人を否定しないで承認して聞き入れる

これはエジプトについて会場に尋ねていたときに抱いた感想。
多分あのとき発言していた人たちは、元々興味がある人もいたし
今回の展覧会をもとに勉強した人もいる。
そんな中で言葉を咀嚼して返している彼らがすごいなぁと思ってみていました。


あの頷きすげぇ〜、やられたら半年は頭抱えそう
自分が色々やって動いていって場を盛り上げるのは才能だよな、、生まれ持ったというより努力型の才能の持ち主だと思ってる

そしてこちらはその話を受け取る側の壇上にいる人への感想。
頷きがずいぶん優しいなぁと思ったのよ。失礼千万ですけど。うっかり手挙げて発言しなくて良かった、あのトーン半年は頭抱える。

何だろう、人ってどうしても自分のほうが知識や立場が優位だと上からになっちゃう場面があると思うんですけど、全くなかった。
そんな様子を見せてる人じゃないから、もし見せていたらひどく(私が)落ち込んでいたと思うけど、そんなことはなかった~、安心もした場面です。まとまらない


難しさも同時に感じた、もちろん喋ることによってまとまるし面白くなるんだけど他の人たちにはあそこまでできるのか?という点と(そういうの求めてるかは知らないけど)、自分がやらなきゃになってないかなって、余計なお世話です

いや今見返しても本当に余計なお世話だと思う
彼が喋ることによる生産性の高さは凄くて、さっき書いたように努力や積み重ねでできたものだと思っているのですけど。
全員が彼みたいになれないし、そうなってほしい訳ではないんだけどその一瞬はこういう気持ちをもってしまったので残してはおく。


正直私は世界史選択じゃなかったし、いまだにカタカナの名前のものは覚えるのにとても時間がかかる人類なので、こんな機会がなければ展示会に行くこともなかったのだけど(両国に行きました。)いいきっかけをもらったイベントでした。

そしてタイトルのこと。
実在するもの(ものって言うな)だと自分で確認してしまったがゆえに今の自分はこんなことができているだろうかと悲しくなったんですね。
仕事が教育系なもので、楽しさを引き出せるように、そしていつかその楽しいと思った気持ちを他者に伝えていってほしいと思いながら仕事をしているんですけど。

現実はまぁそんなに簡単じゃないし、自分に至らない点がありすぎて何も成し遂げられず悔しい思いをすることもあるので、難しいね。
ただ、自分が何かしらこどもたちのきっかけになれるように仕事はしていきたいなと思えたイベントでもありました。


いつかは講演会に行って彼のお話を聞きたいけどそうなったら精神鍛錬が必要そう。